今日は娘の親友のおしゅうとさんのお通夜がある。
先週の土曜日は、
お取引先の課長さんの息子さんのお通夜だった。
今週、膵臓がんで亡くなられた中島梓さんが
「ガン病棟のピーターラビット」の中で
『生きているということが、私にとってはそれこそ、
「当たり前のこと」じゃなくなり、
とても芳醇な、色濃い、
めまいのするほど素晴らしいことになったのだから。』と語ってられる。
年寄や、病をかかえて生きるものは
今日一日の重さと、
残りの時間はいかばかりかといつも心に澱のように感じながら暮らすなか
たしかに「めまいのするほど素晴らしいもの」
それはイイことがあっても、いやなことがあっても
生きていられたということは「芳醇で色濃い、素晴らしいこと」であると感じる。
まさに、晴天の霹靂の交通事故で
19才の命を終えてしまった息子の父に
だれもが、「かける言葉がない…」と肩をふるわしていた。
御導師様も「いかなる言葉も虚しいばかり…」と。
父は「夢をみているようだ。若い皆様、命を大切に、親孝行をしてください」と
気丈に挨拶をされた。
人間はこの世に出てくる時に神様から
「おまえの人生は、これこれこうだ。それでも、この世にでたいのか?」と問われ
「それでも人間の世界にでたいです。」といって生まれでてくるのだそうだ。
19年の命と承知して生まれたのならば
最愛の両親と兄弟に囲まれ、友人と出会い、いい日々をすごし
短かったが生涯を終えて神様の元にもどられた時
「19年間楽しかったです、ありがとう。とうさんかあさん、みんな、ありがとう」と、
のこされた者たちも、「いままでありがとう」と…。
悔やめばきりがないが、せめて、言葉があるとすれば
「いままで、いっぱいありがとう」
今晩の通夜
御霊さまがやすらかにあちらの世界にいかれますよう
家族の心がゆっくり元気になられることを願って。
今日一日生きる事ができたことに感謝して。
ありがとう。
2009年5月30日
言葉もなく
当たり前のことじゃない「生」。