25年も前の12月、父が突然倒れた。
この地へ家を新築してわずか4ヶ月後。
私はその頃、夫の転勤のため愛知に住まいをしており
父と母は、知り合いもいない土地に慣れようとしていた矢先のことだった。
12月から1月にかけて、その年は例年になく雪の多い年だったのを覚えている。
私はいったんは実家へ見舞いにもどったもののまもなくして愛知へ戻ってしまい
今思えば、一番つらい時になんにもしてあげられなかったことが悔やまれる。
知り合いもなく、バスも1〜2本しかない山里で
突然夫に倒れられた母は
どんなにどんなに心細かっただろう。。。
入院先の病院からの帰りのタクシーは雪で先へ進めず、途中で下ろされ
街灯もない真っ暗闇の県道を、時々ゆきすぎる車のライトをたよりに
やっと家へ辿り着いたこともあったそうだ。
くも膜下出血の父は、幸いなことに手術は成功したが記憶と運動障害が残り、
母は、病室へ見舞うたびに救いようのない絶望感に襲われ
平常心を失いそうにもなったそうだ。
寒くて辛くて寂しい冬を母はじっと耐えていたのだろう。
幼い頃、父を亡くし母と別れて
それでも親戚の家でそっと気丈に生きてきた母は
周りにはなにも言わずじっと歯をくいしばってたのだろう。
入院から三月ほどがすぎたある日
なんの手もいれていない空地同然の庭の片隅に
水色の小さな花がたくさん咲いているのを見つけたそうだ。
「オオイヌノフグリ」だ。
この小さな花がまだ凍てつく土の上で
可憐に咲き乱れいるのを見つけた時、母は
「春が来る」のを感じた。
(父は その後、 奇跡的に回復し、社会復帰もはたし
73歳で突然亡くなるその日のその瞬間まで、「元気」に生きることができた。)
その冬から25年
3月20日の今日、母は75歳の誕生日を迎えた。
民謡踊りの会に参加し、食べ物情報番組が大好きで
こんどは「二胡」でも習おうかしら?と何にでも興味津々!
マイケルジャクソンを「ジャイケルマクソン」
ふかひれを「ヒカフレ」とマジ顔でいい
家事のほどんどをこなしてくれて
私の我がままにも、へらへらといーかげんに対応する。
私の買ってきたささやかなお祝いのケーキを母は、父の仏壇にそなえ
「ほーら、仏さんもケーキ食べてお祝いしてくださいよぉ〜〜!」チン! と。
「ママ、お誕生日、本当におめでとう!そしてありがとう。」
これから10年か20年か、、、けんかしながら笑いながら、、、ずっと一緒にいよう。
今年も、オオイヌノフグリが同じ場所で満開です。
2009年3月20日
春の力【オオイヌノフグリ】
春の力